ちょんまげエンデュランスのお話

日本にもヒトとウマの距離感が近い歴史がありました。蒸気機関や内燃機関が発明・普及される前に。

 

江戸時代…貴方は御親藩の甲府藩士です。

お役目は江戸上屋敷のお殿様に極秘文書を少しでも早く届ける伝令役です。貴方はどうやって極秘文書をいち早く届けますか?当時の早馬を使いますか?

でも、早馬は各駅停車で馬を乗り換えないと(つまり2030kmごとの宿場駅で馬を交換する)なりません。普通の馬ではそれ以上耐えられないのです。当時も高価だった馬を潰しちゃいけませんよね?都合よく早馬が各宿場駅にいるでしょうか?テン乗り(ぶっつけ本番で乗ること)で、阿吽の呼吸で馬とコンビを組めるでしょうか?

それならいっそ、1頭の馬で123,8kmJR中央線 甲府~新宿駅間・全日本選手権レベルの距離)を走破しよう!

そのためには馬を研究し馬を知り、耐久能力のある馬つくりをし、騎乗操馬技術を磨き、馬とのパートナーシップを磨く、そして江戸屋敷に向けて馬を潰さずしかも速く、手塩にかけて育てた愛馬とともに走破を目指す。

14時間後には江戸上屋敷のお殿様の手に、めでたく密書は届く。

ちょんまげエンデュランス無事完走!

現在のエンデュランス・ライドは、競技としての魅力を高め、公平性を担保し、ライダーを守り、そして何より馬自身(ウェルフェア)を守るため、様々なルールが設けられています。

 

甲府藩士の伝令役である貴方が、江戸上屋敷のお殿様に極秘文書を届けるために、日々手塩にかけた愛馬に跨ろうとしたまさにその時、VETと朱書きされたちゃんちゃんこを掛けた、馬のご典医が現れ、『出立の前に、馬体の状態を診断いたそう』と言って、馬のあちこちを触りだし、聴診器で心音や腸音を聞いています。『歩様を見せてくれぬかの?』と言われ、愛馬を速歩で引馬(リーディング)してみました。

『うむ、心拍44、その他歩様も含め馬の状態は良好じゃ、すぐに出立しなされ』と、言って立ち去りました。馬のご典医はその後何故か、途中の駅(ヴェトエリア)に現れ馬の心拍数をはじめ、メタボ状態や歩様などをチェックしてきます。

そうなのです。エンデュランス・ライドでは、走行前・走行中・走行後に獣医さんの馬体検査を受け、一定基準をクリアしないとその後の走行ができません。失権します。たとえ1位でゴールしても失権します。心拍数は特に重要で、脱水等のメタボ系の異常や運動機能の異常は心拍数に反映されやすいです。(合格基準は通常1分間に64回以内です)

走行前検査を無事通過した貴方が、再び騎乗したその瞬間、今度はSTEWARDと朱書きされたちゃんちゃんこを掛けた役方が現れ、『これこれ、その服装では出立できぬぞ』とニコニコしながら言ってきました。

ルールでは、ライダーは襟付きシャツと3点固定式ヘルメット、12mm以上の踵の高さで靴底が滑らかなシューズを着用しなければなりません(または籠付き鐙)。

さらに『そのムチはなんじゃ?おいていきなされ』と。そうなのです、鞭や拍車(それに類するもの)と、折り返し手綱や頭頸を固定するマルタン、枝が8cm以上のシャンクなども使用禁止です。

『ぬぬ、、、鞭も?!馬が動かなくなったときには、如何にするのか?そーだ、木の枝だ、枝で!』・・・『ならぬならぬ、一切駄目じゃっ!ホースマン道に悖る行動は一切駄目じゃっ!』

というやり取りがあったのか、なかったのか?それはさておき、貴方は鞭を捨てて江戸に向けて出発するのでした。

極秘文書は襟付きシャツに縫い付け、道中図や途中で飲む水や握り飯やいざという時のスマホも持ったし、準備万端!…でも、馬の飲食は?

途中笛吹川で馬に水を飲ませ(競技では10km以内毎に水場を設けなければなりません)、二十数キロ進んだ場所で迎える、甲州街道の最難関・標高1,096m笹子峠超え。その麓にCREWと書かれたちゃんちゃんこを掛けた人たちが待ち受けていて、飼葉を用意し、愛馬の水冷やマッサージなどをしてくれました。数分後には馬のご典医の検査にもパスし、貴方もほっと一息、数十分の休息時間です。

日馬連ルールでは2040kmを一区間とし、一区間終了のたびに獣医の検査を受けパスした場合のみ走行が許可され、再スタート前に一定時間休養を取らなければなりません(強制休止時間)

ライダーの協力者であるクルーの存在はエンデュランス・ライドに不可欠です。ライダー・馬そしてクルーの気持ち・考え方の方向性を一つにしてゴールを目指します。ただし、クルーのサポートを受けられるのは、クルーエリア(リカバリーエリア)とコース途中のクルーポイントのみです。

再スタートした貴方は、いよいよ笹子峠に挑みます。急坂、しかも足場は悪い。貴方は考えます。『こんな場所で乗っては、馬がかわいそうだ、ダメージが大きい、降りて一緒に歩こう』そうですね、降りて引く、そんなこともありますね。一番最初のスタートと一番最後のゴール以外は、騎乗している必要はありません。(逆にいうとその2回は騎乗していなければ失権します)

なんとか3キロの山道を、用意した握り飯を頬張り、マルチビタミンをすすりながら歩いて笹子峠を越え、桂川で馬に水を飲ませ、小仏峠のふもとのクルーポイントで再びクルーのお世話になって小休止。いよいよ江戸ご府内入りです。そこでハタと気づきました。

出立前のブリーフィング(打合せ)でTechnical Delegate(技術代表)と書かれたちゃんちゃんこを掛けた役方が、『多摩川は増水していて入水するのは危険じゃ、石田橋を渡りなされ』と指示していたのを思い出し、道中図でルートを確認しました。分岐点には誘導の矢印看板が立っており、わかりにくいところは地面に白線で矢印が書いてありました。

橋を渡ってからは比較的平坦な道となり、ひたすら江戸上屋敷を目指します。愛馬はトレーニングの成果もあり、走りやすい道はキャンターすることで峠超えのロスを少し取り戻せました。

馬も、お役目のために、そしてなによりも、今この時自分の上にいる、いつも付き合ってくれている、面倒見てくれている、この人のためになんとしても走り切ろう!という強い意志・前進意欲満々です。

無事走り切って上屋敷に到着した後、リカバリーエリアでクルーの面々に馬体の状態を整えてもらい、馬のご典医の検査もパスし、JUDGEと書かれたちゃんちゃんこを掛けた江戸筆頭家老の『大儀じゃ、完走・合格じゃ!』という声とともに合格の握手をし、涙目の貴方は馬の首を抱きしめて愛撫し、めでたく極秘文書は殿の手に。

3区間123km・甲府を出て14時間の『ちょんまげエンデュランス』は達成感・充実感・感動の涙で終了したのでした。(競技的には強制休止2回×40分の場合、走行タイム12時間40分となります)

実行委員会委員長である殿からは、完走賞とベストコンディション賞(上位馬の中から獣医師団の判断で決定される、最も馬体の状態にいい馬に贈られる賞)が貴方に下賜されましたと、さ。

江戸時代の貴方・ちょんまげエンデュランスは1人馬での出走でしたが、実際は同一種目内では多頭数での一斉スタートで、道中も馬にまみれる可能性のあるライドになります。他の競技とは違い、他の人馬の影響を受けやすく(難儀な点です)、『勝った負けた』が一目瞭然です。

エンデュランス・ライドには、当然、順位が付きます。速いもの勝ちです。(早着制限のあるトレーニングライドには順位はありませんが)

ただ、順位は、究極的にはオマケかもしれません。

たとえ時間いっぱいのビリでゴールしたとしても、上位ゴール人馬がすべて失権しているかもしれませんよね、その場合は第1位になります。

エンデュランス界では有名な『完走することが勝つこと』『To Finish is To Win』という言葉があります。勝つ・Winとは、誰に?ナニに?勝つことなのでしょうか?

エンデュランス・ライドには、順位よりも大切なことがある、のではないかと思います。

距離の長さにかかわらず、普段のトレーニングを通して愛馬の能力を見極め、当日の気象条件・コースの難易度を考慮したうえで、自分自身と愛馬のパフォーマンスを存分に発揮できた場合、どの程度の時間で完走できるか?を自分自身に問い、その時間をクリアするための戦略戦術を練り、クルーのサポートを受けながら愛馬とともに目標・ゴール・完走に向かって人馬一心体で挑み、そして(失権せず)完走した時の達成感・充実感・感動を愛馬とともに分かち合う、そんな、トレーニング時間も含んだ、馬と一緒の時間を楽しむライドなのではないでしょうか?

『愛馬とともに目標に向かって幾多の困難を克服する=勝つ』なのかな?

 

馬のどんな競技でも、やるのは馬、でも、ゴールに導くのはライダー。

身体は馬、頭は貴方。ケンタウルスとなるのが理想、エンデュランス・ライドも同じです。

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